研究誌 「アジア新時代と日本」

第89号 2010/11/5



■ ■ 目 次 ■ ■

編集部より

主張 覇権か協調か、問われる日本の針路

研究 経済的停滞からの脱却 その鍵を探る(2)

インタビュー 「釜日労」三浦俊一さん 「平和の通信使」韓国ツアーに参加して




 

編集部より

小川淳


 尖閣諸島沖の中国漁船と保安庁巡視船の衝突事件以降、日中関係が急速に悪化している。この事件が日中双方のナショナリズムを刺激していることは間違いない。領土・領海に関する問題は、外交上極めてデリケートな問題であって、対応を誤ると軍事的対立や紛争に至ることはこれまで何度も繰り返されてきた。1982年に英国とアルゼンチンがフォークランド島の領有権をめぐって争った紛争などはその好例だろう。
 「尖閣諸島は日本固有の領土で中国との間に領有権問題は存在しない」というのはあくまで日本の立場であって、中国側もまた中国固有の領土と主張している。お互いが領有権を主張している以上、こちらが強く出れば相手が譲歩するということはあり得ず、事態は必ずエスカレートする。国際的に見て尖閣諸島は明らかに「係争地」であって、「係争地」であるという外交上の認識がきちんとあれば、「国内法で粛々」というような愚かな対応はなかったのではないか。
 2000年以降、東アジアは大きな転換期を迎えている。半世紀に及んだ内戦と分断の東アジアから、平和と協同のアジアへの転換、東アジア共同体がもはや夢ではない時代、アジア新時代の到来という時代認識を私たちは持っている。この小紙も、そのような明治以降、日本がアジアに背を向けてきた歴史からの転換、戦後の対米従属からの脱却という「入亜」への期待を込めて発刊したものだった。
 ところが東アジアが和解と統一に向かい、「入亜」の機運が高まるとき、必ずと言ってよいほど日本では逆ブレが起きている。02年以降の日朝正常化交渉での拉致問題しかり。鳩山前首相が表明した日米安保見直しと普天間基地県外移転問題への異常なまでのメディアの集中砲火も、基地移転に積極的な小沢元幹事長に対する攻撃もしかりである。
 東アジアから脅威が減じ、日本が「入亜」へ向かおうとするとき、その反動として必ずや日米安保の強化が謳われてきた。「尖閣諸島は日米安保の適用対象だ」というクリントン国務長官の発言に前原外相は嬉々としている。だが一番喜んでいるのはこの領土紛争によってアジアへの関与の足がかりを得た米国ではなかろうか。領土問題解決のためには対決ではなく両国間の友好、信頼がなければならない。それが解決の唯一の方法だ。



主張

覇権か協調か、問われる日本の針路

編集部


■非は中国にあるのか?
 尖閣諸島の問題以降、中国「横暴論」が騒がれている。10月末に開かれた東アジアサミットで、中国が一旦は合意した日中首脳会議を一方的に取りやめたとして、マスコミも非常識だ、大人気ないなどと「中国の横暴」を書き立てている。
 今回の首相会談の中止理由について、中国側は27日に行われたハワイでの前原?クリントン会談で、「尖閣諸島は日米安保の対象」という合意がなされたことを主にあげている。
 そもそも、日本では、突然のキャンセル、ドタキャンなどと言われているが、英国のロイター通信は、29日に中国外務省当局者の「日中首脳会談に向けた調整はなされていない」という発言に基づき「日中首脳会談は行われない見通し」という記事を配信している。
 ところが前原外相は29日の中国外相との会談後に「日中首脳会談が開かれるだろう」と述べているのだ。となると、前原外相の発言は単なる憶測発言にすぎないのであり、これをもって中国の一方的なドタキャンなどと言うのはおかしいし、前原外相はこうした波紋が起きることを承知で発言したとも言えるのではないだろうか。
 元々の発端は、1978年の日中平和条約締結時に、尖閣諸島領有権について棚上げ合意され、これまで、この海域での中国漁船の操業に対しては問題化しないようにやってきたにもかかわらず、強硬な追い出しをはかり、船長を逮捕したことだ。そして中国側の抗議にも、前原氏は「これは領土問題ではない」と敢えて中国側の神経を逆なでるようなことを言い、あまつさえ、国連会議でのクリントン国務長官との会談で、この問題を持ち出し、「尖閣諸島は日米安保の対象」という言葉を引き出した。そして今回、日中のギクシャクした関係修復を目指した首相会談を外相としてセッティングする立場にありながら、その前にわざわざハワイに出向いて、再び「尖閣諸島は安保の対象」と合意したのである。
 以上を見れば、この問題をめぐる日中間の軋轢・紛争は日本側が意図的に仕掛け、煽り立てた側面が強いのであり、一方的に非は中国にありとは言えないと思う。

■背景に米のアジア関与と覇権策動
 この問題について、中国は何に怒り何を問題視しているのだろうか。領土問題だから譲歩できないということか? 日本が米国を後ろ盾にしてこの問題を解決しようとしていることか? それもあるだろう、しかしそれだけではない。より大きいのは、日本の動きの背後にある米国の対アジア覇権戦略にあるのではないだろうか。
 自らの一極支配が崩壊の危機に瀕した米国は、オバマ政権を登場させ、国際協調を掲げながら、その下での関与とリーダーシップを確保することで、覇権を維持しようとしている。とりわけ発展著しいアジアへの関与は彼らにとって死活問題である。しかし、アジアの国ではない米国がアジアに関与する権利はない。そこで持ち出してきているのが、一つは「太平洋」であり、もう一つが「中国の脅威」である。
 米国は以前から、自らを「太平洋国家」と強調しながら、アジア・太平洋の問題は米国自身の重要な国益であるとして、アジアへの関与を正当化している。そして「中国の脅威」。中国と周辺諸国との間には領土問題など一定の摩擦が存在するが、米国は、これを最大限利用しようとしている。
 7月に開かれた、ASEAN地域フォーラムでの会議で、米国は、あたかもASEAN諸国の立場に立ったかのごとく、「航行の自由」をもって中国を暗に批判し、中国は「域外国である米国がこの問題で主導権をとるべきではない」と激怒した。そして東シナ海の尖閣諸島問題での「尖閣諸島は日米安保の対象」発言。
 まさに、中国と他のアジア諸国を対立させる「新分断外交」であり、アジア関与・アジア覇権戦略。中国の尖閣諸島の問題をめぐる強硬な態度の裏には、この米国による日本を手先に使っての覇権戦略に対する対処が込められているのではないだろうか。

■菅政権の危険な進路
 問題は日本だ。8月16日、米国防総省は、中国の軍事・安全保障に関する年次報告書を発表し中国の軍事力強化に対抗する戦略の重要性を指摘したが、この日、来日したマイヤーズ元米統合参謀本部議長は、朝日新聞とのインタビューでその内容を以下のように説明している。「日米両国は、中国や北朝鮮の軍事力増強に見合った形で能力を向上させる必要があり、それを怠れば抑止力が減衰する」としながら、「(日米両国は)中国に『弱い』と思われないような(軍事的)能力を身につけ、相手にそれを理解させなければならない。地域の安定を崩さないためには力の均衡が必要だ」と。
 日本は急速にその方向に舵取りをしている。今年末の「新防衛大綱」策定に向け、菅首相の私的諮問機関である新安保懇が8月27日に報告書を提出したが、それは朝鮮や中国の軍事力強化を想定しており、そこでは、従前の「基盤的防衛力構想」は、部隊や装備の規模だけを決める「静的抑止」の考え方だが、これからは、「警戒監視や領空侵犯対処を含む適時・適切な運用を行い、高い防衛力を明示」する「動的抑止力」が重要だとしている。しかも、米国を「懲罰的抑止力」とし、これに自衛隊の「拒否的抑止力」を結合することによって、「抑止力」を効果あるものにするというのである。
 まさにマイヤーズがいう方向での防衛政策の転換であり、日本の防衛政策を中国に対するものに変え、米軍の「懲罰的抑止力」を補完し追随するものに変えるということである。新安保懇報告では、「武器輸出三原則」や「非核三原則」の見直しも唱えられている。そして、米国に向かうミサイルを日本が撃ち落とすといった形での集団的自衛権行使にも言及している。
 これでは、米国の対中国戦略の手先軍事以外の何ものでもない。そして経済的な面でも、米国が最近持ち出してきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への積極的な参加表明。米国のこの構想は、まさに「太平洋」を冠することによって、アジアへの関与を行い、ASEAN諸国が中心になって進めてきた東アジア共同体構想を米国覇権の内に取り込もうとするものである。前原外相などは、これをもって「中国包囲網」のごとき発言を繰り返している。
 しかし、そのようなものがうまく行くとは思えない。簡単な話しが、中国と対決して得るものはないし、それは国民の望むところでもないだろう。それにもかかわらず、米国覇権を今だに信じる者たちによって、日本は危険な道に引き込まれつつあるのである。

■アジアと共に進む脱覇権・協調の道こそ
 10月に開かれたASEAN国防相会議で、ASEAN諸国は、この会議を中国非難の場にしようとした米国の企図に乗らなかった。あるASEAN当局者は「ASEANにとって米中はどちらも欠くことが出来ない相手。どちらかの味方とみられるとASEANは分断され、存在意義が消えうせてしまう」と述べている。
 これは含蓄に富んだ考え方だ。日本では、中米のどちらに付くべきかという論議が一般的だし、その中で中国に対抗するために米国との連携を強めるべきだという考え方も出てくる。そうではなく、どちらの味方でもないというスタンスで日本独自の立場を堅持するということが重要なのではないだろうか。
 進藤栄一筑波大名誉教授が朝日新聞に「孫文と梅屋の夢から100年 アジア覇権か協調か」という興味深い一文を寄せている。
 その要点は、「今、新アジア主義が台頭して」おり、それは「弱小なASEAN諸国が中心に座って財と文化のソフトパワーを軸に対等な地域協力の制度化を進める構図」だということだ。
 そして、100年前と同じように、二つのアジアへの道が私たちの前に提示され、いずれのアジアを取るのか、日本(と中国)に選択を求めている。それは孫文の「あなた方は、西方覇道の手先となるのか、東方王道の干城(守り手)となるのか」という有名な問いかけにも通じる、覇権主義的同盟外交の道か、協調主義的多元外交の道かという問いであるというのだ。
 戦前、覇権の道を歩んで失敗した日本は、この問いかけに誰よりも真摯に答えなくてはならないだろう。調の道が問われているのではないだろうか。



研究

経済的停滞からの脱却 その鍵を探る(2)

小西隆裕


 経済停滞からの脱却を目指し、前回は、なぜ経済の自律的回復力が失われたのか、その要因を経済全般にわたる極度の不均衡に求め、経済の基本単位であり生き物である国民経済の均衡的発展に停滞脱却の鍵を求めた。
 問題はこの国民経済の均衡的発展をいかに図るかだ。それについて、前回、国民経済を市場の働きに任せるのではなく、国と社会の共同体的働きを活かす必要があることについて指摘した。
 今回は、それに基づいて、国民経済の均衡的発展の鍵を民意第一の政治に求め、民意第一に経済を構築することについて考えていきたいと思う。

■経済と人間の意思
 「経済を人間の意思でどうにかしようとするのは間違いだ。経済は、各人の利益追求のまま、自由競争に任せ市場の働きに任せておけばよい。そうすれば、独りでにバランスをとって発展する」。今日、こうした新自由主義的な見方、考え方が一般的だ。リーマン・ショックを経験し、それから2年余り、いまだに泥沼の経済停滞から抜け出ることができないでいるにもかかわらず、この見方、考え方は支配的なその地位を保っている。
 しかし、現実の切実な要求がこうした見方、考え方に疑問を呈し、その支配的地位を突き崩してきているのも事実ではないだろうか。今、自由放任のまま世界経済が独りでに活性化する展望はない。G20など国際会議では、毎回のように経済問題が重要議題として取り上げられ、各国のさらなる財政出動など経済刺激策が督促されている。
 経済はどこまでも人間のため、人間がつくり動かすものだ。だから、そこに人間の意思が働くのは当然だ。自分個人の利益を図る意思も働けば、集団の利益、共同体の利益を追求する意思も働く。国家財政の出動や地域に密着した中小零細企業の活動など、国民経済に国と社会の共同体的働きが作用するのも、国と社会の利益を求める広範な国民の意思が働いているからに他ならない。

■民意第一の政治が鍵
 今日、国民経済が生き物として強い自律的回復力を持つようにするためには、所得や地域、大中小企業、産業構造など経済全般の不均衡を正す国と社会の共同体的働きが強く作用するようにしなければならない。そしてそのためには、国や社会の利益を思う国民や地域住民の意思と要求が政治によく反映されるようにしなければならない。
 人間の意思で経済をよくすると言ったとき、決定的なのは政治だ。国民は誰もが、国の経済が発展し、皆等しく豊かになることを願っている。この国民の意思と要求を政策に集大成し、その実現のため人々を動かすのが政治だ。
 だが、これまでの政治が国民の意思を反映したものになっていなかったのも事実ではないだろうか。戦後日本においてそれは、主として米国の意思を反映したものになっていた。沖縄県民の声を聞くのか、米国の声を聞くのかが問われた普天間問題で米国の声を聞いた民主党政治は、その端的な現れだったと言うことができる。
 国民の意思ではなく米国の意思を反映した戦後日本の政治は、国民経済全般に大きな不均衡を生み出した。過疎過密の地域格差や大企業と中小企業の格差、そして輸出産業偏重など、不均衡は、「一億総中流」と言われた中にあっても甚だしいものだった。そしてそれは、米国の意思が、経済に作用する人間の意思とそれに基づく国と社会の共同体的働きを全面的に否定する新自由主義、グローバリズムになるに至り、もうこれ以上にないものになった。まさにここに、今日、泥沼の停滞から抜け出せない根因がある。
 問われているのは、米国の意思よりも国民の意思を重視する民意第一の政治だ。そこにこそ、経済停滞脱却の鍵があるのではないかと思う。

■民意に即し、経済停滞からの脱却を
 今日、経済停滞からの脱却は、国民のもっとも切実な要求であり意思である。そして、そのための路線と政策も、国民自身の意思と要求の中にあると思う。
 国民が求めているのは、日本経済、国民経済の発展だ。世界経済一般の発展ではない。
 国民経済の発展と言ったとき、個人消費や設備投資など内需の拡大が基本だ。もちろん、外需の拡大自体に反対する国民はいない。だが、外需依存で、円高などにより大空洞化するような経済のあり方には皆反対なのではないだろうか。
 内需基本に国民経済を発展させるとき、重要なのはやはりその均衡だと思う。所得や地域、大中小企業、産業構造など、経済全般の均衡的発展をこそ国民は求めていると思う。所得の格差や貧困の拡大、地方・地域や大中小企業、産業構造などの格差や衰退・崩壊の広がりは求めていない。
 国民経済を均衡的に発展させるため、国と社会の共同体的働きを活かすのは国民の切実な要求になっているのではないかと思う。所得の均衡のためには、所得再分配を図る税制や社会保障制の改革、そして雇用創出のための諸財政改革などが求められ、地域や大中小企業、産業構造などの均衡のためには、地域のことはそこの住民自身が決める地域住民主権や国と地域の経済を支える中小企業の役割重視の融資制度、農業などすべての産業を総合的・均衡的に発展させる産業政策、そして地域循環経済を回転させる地域内再投資力の形成、等々が求められているのではないだろうか。
 国民は、それと同時にもちろん、新しい先端産業である情報産業や環境産業、福祉産業などの育成に力を入れ、産業構造のより高い次元での均衡的発展を図ることを要求している。民主党政権が打ち出しているグリーン・イノベーションやライフ・イノベーションを中心とする「新成長戦略」もそうした要求の反映だと思うが、それも、国民の意思と要求を中心に置き、「均衡」をキーワードに、所得、地域、大中小企業、産業構造などの均衡的発展を追求する国と社会の共同体的な活動や全国民的な運動として推し進められるときはじめて、意味のある政策になるのではないだろうか。

■時代の要求に応える民意第一の経済
 民意第一で国と社会の共同体的働きを活かす国民経済の構築は、日本型集団主義やケインズ主義への回帰でも、時代への逆行でもない。経済全般にわたる極度の不均衡により、自律的回復力を失った今日の経済を救い、明日の経済の発展を約束するもっとも正しい処方箋ではないかと思う。
 「日本株式会社」や「護送船団」、「終身雇用」や「年功序列」などに象徴される日本型集団主義や財政出動による有効需要の創出で経済を活性化させるケインズ主義の経済に国と社会の共同体的働きが多かれ少なかれ作用していたのは事実だろう。だが、それにも関わらずこの経済は、不況とインフレが同時に進行するスタグフレーションを克服することができなかった。
 1970年代、泥沼のスタグフレーションの中、やはり国民経済の不均衡が甚だしかった。当時も、今ほどではなかったにしろ、富裕層や大企業、大都市、輸出産業などへのカネの集中とカネ余り現象、投機への傾斜が見られ、ヒト、モノ、カネの循環が滞った。
 問題は、なぜそうなったかだ。その根本原因は、当時の自民党政治が民意第一でなく米国第一だったところにあると思う。当然のことながら、米国の対日経済政策は日本経済の均衡的発展をその基本に置いてはいなかった。それどころか、エネルギー・資源から食糧、科学技術体系に至るまですべてを対米、対外依存させ、米国の覇権の下、外需依存で膨張する対米従属の独占的大企業優先に日本経済をつくるものだった。これが日本経済の不均衡をなくすのでなく、逆に拡大したのは言うまでもないだろう。
 今日、「グローバル時代」だと言われている。そうした中、今、すべての関税の撤廃を原則とするTPP(環太平洋パートナーシップ協定)がにわかにクローズアップされている。だが、関税ゼロで米国の安い農産物を売りつけ、各国農業を破壊して食糧による覇権の強化を狙い、ひいては、環太平洋のアジアや南米への関与と覇権を窺う、米国のこのような虫のいい謀略が通用するはずがないと思う。
 もはや、グローバル化、自由化をテコに米国が覇権をこととする時代は終わった。各国が米国の覇権と横暴に抗し、主権を強化し、東アジア共同体など地域共同体を構築し、互いに協力、協調して、国民経済を築いていく時代だ。この歴史の新時代にあって、民意第一に国民経済の均衡的発展を図る路線こそが時代の新しい趨勢と一体に経済停滞からの脱却を実現するもっとも力のある路線だと言えるのではないだろうか。
 以上、この拙論は一つの問題提起にすぎない。ご批判いただければ幸いである。


 
インタビュー 「釜日労」三浦俊一さん

「平和の通信使」韓国ツアーに参加して

聞き手 小川淳


―「韓国併合」100年を迎えた今年、友好と平和の新しい100年を築く民間使節団として計画された「平和の通信使」ツアー(8月)に参加されたそうですが、三浦さんご自身、参加された動機と言いますか、特別な思いがあったのでしょうか。
 「2010年平和の通信使派遣実行委員会(仲尾宏さんらが中心となって結成)」が18日間ツアーを組もうと各界に呼びかけて始まったツアーでした。すべての出発点は二つです。韓国強制併合100年、これで歴史を振り返るという問題がひとつ。それともう一つは近年の「在特会」とか日本の保守勢力から排外主義勢力が街頭に進出してきたことで、もう一度戦争と植民地支配の責任を見直して行こうと。三つ目としては理論的課題ですが、民族国家という枠で物事を考えられない時代が来ているのではないかという認識はかなり広がってきている。その中で例えばEU問題、カリブ共同体の問題、アンデス共同体の問題、さまざまな共同体構想がでてきて関税障壁の撤廃とボーダーラインの撤廃、パスポートなしで人が行き来している。新しいアジア共同体構想、その中で、南北の自主的平和的統一と沖縄問題の解決を図っていかない限り、結果的にはそれらの問題は民族国家という枠の中では解決しないだろう。二つの動機と一つの模索ということで参加しました。
 それらを含めて四つ目として、昨年、反排外主義を必死に闘った中で若い人たちがたくさん来て、扇町公園で千人の集会とかできるようになった。彼らが主体になって僕たちはなるべく意見を言わないようにした。まず彼らが考えたのは、外国人排斥運動に対する対抗として多民族共生社会というのを持ち出してきた。ところがヨーロッパを実際に見ていると多民族とか文化がそんなに簡単に融合するなんて基本的にありえないわけで、それよりも文化的相違を包摂しうる何ものかがない限り、共生と言う二文字の中に込められている意味を見てとる事はできないだろうと思って聞いていました。
 それをもしスローガンとして掲げるのであれば、東アジア共同体の中に琉球、韓国、朝鮮をきちんと位置づけた上で、日本での国際連帯、反排外主義の運動をやっていかなあかんだろうという考えがあったんです。そのためにはどうしても避けられないのは日本の植民地支配の責任問題、それとアジア諸国に対する戦争責任、これについて法制度的にもきちんと落とし前をつける必要がある。そのために韓国の若い活動家たちと直接会って、本音の部分で話がしたいと思った。

―向こうで会った方々は、どういう階層の方々でしたか。
 基本は80年の光州の蜂起以降、それまでの反独裁の運動ではなく民主化要求を闘った世代だったんです。冷戦構造が終わった後に光州の蜂起というものを見て、闘いに決起した世代で、全共闘世代のあとの世代が日本ではなくなっちゃいますけど、韓国では光州蜂起以前と以降と問題意識が違うんですよ。光州の蜂起をきっかけに学生運動に入った人たちはものすごい勉強しています。まさかというくらいマルクス主義、レーニン主義を勉強しています。今韓国社会を動かしている、反独裁、民主化運動をやった彼らは、新しい時代の要求と新しい時代の闘い方を作ったという気がしました。
 日本に対する見方も変え始めています。単に植民地支配の責任要求ということではなくて、それをなんのために要求するかということに着目してきている。なんとか日韓で手を組んで、アジア共同体の中で、民族の悲願の南北の平和的自主的な統一を果たしたいという考えです。

―確かに朝鮮民族が過酷な歴史の中で宿命的に負わされたてきた悲願というものが朝鮮、韓国にはある。日本との違いは決定的です。
 その重さはものすごく大きく感じましたね。拉致問題でも、共和国は間違いを認めてピョンヤン宣言まで作った。自分たちが間違いを認めるというのは、日本より凄いじゃないかと、そのことをまず評価しないと。そういう意味では、日本の植民地支配の問題の未決着の状態は、避けて通れない課題です。日本が彼らに対してはっきりした道義的、立法的な措置がなければならない。道義的というのは謝罪という意味で、立法的というのは国として戦後補償問題を明らかにするということです。政府声明として村山、河野談話が出されずに「談話」という形にしてしまった。その翌年には靖国に閣僚が参拝に行くのを見て、韓国の人たちはどっちが本当なんだというわけですよね。

―今回ツアーに参加されて、歴史認識に対するギャップを強く感じたとおっしゃっていましたが、具体的にはどのような問題でギャップを感じられましたか。
 彼らの認識はまず日朝は負の歴史しかなかったというこではなかったんだと、平和の使節団というのが200年にも渡ってあって、そういう平和と友好の時代を持っているという認識ですね。これについて日本国内ではほとんど教えませんよね。植民地支配の問題に関しては、日本の植民地支配を許さないという観点を日本に向けて反日と表現した一時代から変わってきた。国内でのいわゆる旧植民地時代の親日派に対する糾弾行為を頑張ってやるんですね。いまでも許さないと、彼らにしてみれば親日派というのは日本語で言えば売国奴なわけですよ。まず韓国側で植民地支配を受け入れた人たちがいるということを認識した上で、日韓の連帯を考えていく。彼らは彼らなりに自分たちの歴史を全部正しかったといっているわけではない。やっぱり自分たちの民族の中にも日本帝国主義と手を結ぶ人たちがいたんだということを認識した上でなんです。
 行く前に勉強はしていきました。国内で「在特会」と抗争をやるときに実行委員会を作って議論をするわけですよ。そのときは観念の世界なんです。それに気が付いたわけですよ。ああ、違うんじゃないかと。ぴりぴりした緊張感の中で話をするわけです。それはどのような質問がでるかということについてもそうだし、日本人というアイデンティティが壊れちゃうわけですよ。ものすごいギャップをそのときに感じましたね。日本国内で日韓連帯を叫んでいるときと、むこうに行って実際に議論をするときと緊張感、知れば知るほど緊張の度合いが高まるということです。

―日本の戦争責任、戦後補償についてはどうあるべきとお考えですか。
 いくら自己否定しても何の役にも立たない。個人では必要かもしれないけれど国民の総和としてはできないわけですよ。日本としてやれることは立法であり制度です。
 東京裁判で14人、訴追されます。9人が処刑されます。その後52年に軍人恩給が復活する。未亡人に全部支給される。全部で8種類の特別補助金を含めて、53年から現在まで63兆円使っているわけですよ。支払いの方法が階級別、大将いくら、兵卒いくら、在籍年数、軍人軍属、軍需工場に働いていた人を含めて全部法律です。それに対して韓国には何一つやっていない。まったくのゼロ。声明とか一時的な補償とかいうもので歴史に決着をつけることはできないし、金に代えられないけれども、民族の誇りとか文化とかそういうものを略奪し殺戮している者に残されている補償の仕方はやはり法制度的な補償だということです。
 植民地支配の責任は永遠に取り続けなければならないのかという議論が日本にあるということも知っています。だけど日韓条約の裏側では日本軍の当時の軍人軍属には膨大な補償制度を設けているわけですよ。彼らが遺族会を作り日本の保守勢力になっていく。中曽根が84年に初めて靖国を参拝するという形に繋がっていくわけですよね。戦後50年という戦争責任を明らかにし、植民地支配の責任を明らかにする、絶好の半世紀を日本は逃がしてしまった。この時期を逃してしまうと世代が変わっていく。ドイツは1千億マルク、ドイツは日本が国内でやっているのと同じ内容をユダヤ人、ポーランド、フランスなどに補償している。そこには国民の合意がある。

―今回行かれて一番の収穫は何でしたか。
 一番の収穫は韓国の活動家が若いということ。この人たちと話が出来たということです。80年代世代、光州蜂起以降の若い世代が社会の中心にいるということは、その発想を次の世代につなげていくことができる世代だと思うんです。日本との対比でいえば、日本は闘いを語り継いでいく内容がなかったわけですよね。ところが韓国では光州の蜂起から反独裁、民主化闘争を闘って実際に全斗喚政権が崩壊するわけですよね。自分たちは勝利しているわけで、時代を変えたんですよ。闘えば時代は変えられるという伝統を作ってきた。それを持っている人たちと会えたことが一番の収穫だった。僕らは負けっぱなしの、分裂しっぱなし、何一つ教訓としては残せなかった。路線総括とはやるけれども若い衆に言ってもそれ何と言われるだけで、心を一つにして闘えば国の体制が変えられるんだということを僕らは教える何も持っていない。その結果、日本はどんどん保守化していく。

―今回のツアーで大きな宿題を抱えて帰ってきたという集会での発言がありました。宿題とは何なのでしょうか。
 一つは文化、経済、政治、三つの意味で日本の植民地支配がどれほど韓国民衆に惨禍をもたらしたのかということは数字的な理解に過ぎなかったのではないか。日本の戦後補償のあり方について、この半世紀にわたって左翼はどのような考えを持ったのか。多民族多文化共生社会ということを口にするのであれば、その中身を作りなさいと。中身と言うのは多民族、多文化と言うものを軽々に口にするな、それを真に理解しようとすればそれは時間がかかるということです。戦後補償の問題であれば「すいませんでした」と言う言葉でなく、法化された法制度的な継続性のある補償をやるべきであって、これで終わりと言う事はありえない。
 総論的な意味では、彼らが大きく「東アジア共同体」と言うものにこだわっていて、彼らはそれが必ずや南北の自主的平和的な統一に繋がるという考えを持っている。そこに踏み込むと、私どもには理解が出来なくなる。彼らは北と一緒にやれると思っている。いっしょにやるためには「東アジア共同体」を作らないと駄目だという。そのためには日本が戦後補償をはっきりさせろという。ピョンヤン宣言も彼らはちゃんと知っているわけですよ。

―アジアというのは政治制度も違うし文化も歴史も宗教も違う。共通の基盤がない中で何を共通の基盤にしていくのか。歴史に対する共通の認識を作っていくしかないということでしょうか。
 そうです。共有の価値観を作っていくという方向性を彼らは言葉としては言わないけれども、持っています。アジアという観点からです。彼らは自分たちの闘争の歴史と自分の国の歴史の中から物事を見ている、それがアジアの共同体というところに到着して、そのモデルとしてヨーロッパを研究対象にしている。もっと言えばそのときに日本がリーダーシップをとってくれという言い方なんです。日本が核にならないとできない。そういう日本になってほしいという願いをもっている。

―「東アジア共同体」の中での南北の関係はどう見ているのでしょうか。
 共和国の政治的仕組みが壊れてしまって内乱内戦が起きてとか、そんな事を望んでいるわけでもない。自国内は内戦状態にあると言う認識なのですから、内戦を終結させるという認識なんです。それは日本にいてあまり実感できない。休戦協定でしかないわけです。「東アジア共同体」と言う発想の中に共和国をも含めて包摂していく、まさに共同の価値観と言うやつですね。そういう状況下になった場合、同じ民族としてやっていけると言う風に、彼らは確信している。同じ民族、同じ血を引いているという自信がある。

―天安艦事件のときも韓国内で報復とはならなかったことを見ても、やはり闘争に培われた知恵を感じました。
 そういう大きな構想をリアルな問題として立てていこうと言う志向を持っている韓国の若い人たちに、それに応える内容を当時植民地支配した国の人間として提案議論する。そういう土俵を作らないといけないでしょうね。たぶんそれがない限り日韓の連帯はないし、それが私たちの責任だろうと。具体的なことでは何もないですけど、スタンスの持ち方としてはそういうスタンスの持ち方だろうと。
 各界各層における議論を意図的意識的に日本から出向いて作っていく、それが課題でしょうね。日本から出て行くということですよ。日本国内で日韓連帯をどんなに叫んでも、彼らの言いたいこと考えていることに観念の世界で応えているような気がします。安易に多民族共生とかいうことは使いたくない。それを使える資格を私たちは持っていない。


ホーム      ▲ページトップ


Copyright © 2003-2010 Research Association for Asia New Epoch. All rights reserved.